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2009年12月 1日

2ヶ月ちょっとで3作

 9月の5連休から急にやる気になり始め、それから11月末までに、3つの小説を書いた。約50枚・80枚・90枚と。
 専業主婦時代よりもすごいペースかもしれない。
 我ながらよく頑張った。

 3つとも「広義のミステリー」を書いてみた。そして3作とも、ミステリーっぽい賞に出してみた。
 ミステリーらしきものはこれで5作書いたことになる。

 1作目だけ、エンターテイメント作家の人の添削を受けて書いたのだけれど、自分としては「殺人物」は書きたくなかったのに、気づいたら「殺人事件」にさせられていた(汗)

 2作目も途中までは添削を受けていたのだけれど、途中からどうも考え方が合わず、一人でやることにした。基本的に人の指導を受けるというのはいいと思うけれど、オリジナルの表現が大切な「芸術」の分野では、同じ人の指導を長期間受けてもいいことはないと、経験上、思うのもあり。

 ただ、今まではずっと「純文学」を目指してきて、「純文学」系の人の指導を中心に受けてきたので、「エンターテイメントしか添削しません」という今回の先生の指導は、色々刺激にもなったと思う。
 もともと芸の世界は「守破離」といわれるけれど、基本を学び、身につけたあと、それを否定し、師から離れる、というのも大切だろう。

 3作目からは、「短編」で、なおかつ「殺人が起こらない」ということを重視して書いた。
 殺人があると、それだけで「ミステリー」らしくなるのだけれど、殺人事件など事件が起こらないと、いったい何があれば「ミステリー」なのか、難しい。でも、だからこそ、幅が広がっておもしろい。
 今回、3作書いて3作とも投稿してみたのは、自分が書いているのは世の中で「ミステリー」として認められるものなのか知りたく思ったから、というのも理由。

 あと、ここ数年は、「書けばある程度のレベルのものは書けるけれど、全然うまくならず、同じところをぐるぐる回っている」という感覚があり、だからこそ、1年に1作くらいしか書いてこなかった。

 ただ、少し前に、急に自分に足りないものが何か分かってきて、「あぁ、なるほど、こういうところに気をつければ、もっと上手いものが書ける」と気づいた。
 それで、今は、書けば書くだけ絶対より良い作品が作れるという手ごたえがあるので、「大量生産」というか「大量行動」している。

 何に気づいたのか、というのは、十年近い自分の試行錯誤の結果、見えてきたものなので、ここに簡単に書くことはできないけれど......。

 ただ大きなきっかけになったのが、「小説はどんでん返しから作る」という言葉。
 これは、しばらくブログを放置しておくと勝手に入れられてしまう「小説の書き方DVD」の宣伝ページに書かれていた言葉なのだけれど(笑)
 でも、「あぁ、なるほどなぁ」と、なんか非常に腑に落ちた。

 意外とこれを意識すると、初めの方から効果的な伏線を張れたりもする。

 あと、ミステリーを書いていて思うのは、ミステリー小説を書くのって、虫食い算を作るのと似ているな、ということ。
 虫食い算というのは、簡単な例では5+□-6=3 だったら □はなんでしょう? みたいな問題。
 方程式っぽくもあるけれど、小学校3、4年生で習うもの。今は、紙を虫が食べていた、なんて経験をしている子供なんていないだろうけれど(私もそんな経験ないです!)。
 上の例は非常に簡単だけれど、難しいものは、かなりすごい。ここをクリックして、下のほうを見て!

 ここまでの問題になると、式を作るより、「どこをどう抜くか」に技術がいる。
 ミステリーも似ているのかな、って。
 たとえばAさんの視点で、10年前から時間軸に沿っていって書いたら、なにも不思議なことはないけれど、Bさんの視点で、2年前からの出来事を書くと、「どうして?」というなぞが生まれてくる、みたいな。

 ......ということで、なにを書きたいか分からなくなってきたけれど、今は、

 ・広義のミステリーを書く
 ・殺人事件は起こさない
 ・どんでん返しを大事にする
 ・「実は〇〇だった」という〇〇に、できるだけ「××の善意」という言葉が入るような、
  最後にちょっと感動できる小説にする

 このあたりを自分の約束事にして、小説を書いています。
 きっと来年当たり、今の頑張りが開花します! 乞うご期待!(笑)

 まだ今年はあと1ヶ月、まだまだ頑張ります!

2009年11月 3日

純文学とエンターテイメント小説の違い

純文とエンタメの境がなくなって来ているといわれて久しい。
でもやっぱり、純文学系の雑誌とエンタメ系の雑誌というのがあって、それぞれの雑誌の主催する賞を獲り、デビューすると、その時点で「この人は純文の人」「この人はエンタメの人」と、なんとなく線引きがされる。

実際、文芸の出版業界に詳しい人の話を聞くと、純文学の作家のコミュニティ、エンタメ作家のコミュニティというのがなんとなくあって、そのあいだの交流はあまり盛んではないという。

つまり、デビューする前から、自分がどっちのスタンスで長くやっていきたいのか、考えて動くことが大切だということだろう。

最近、このサイトに、以前のブログから記事を移しているのだけれど、今日は 「野ブタ。をプロデュース」の感想が出てきた。これをどのジャンルに入れるか、ちょっと考え、結果として「純文学」に入れた。これはテレビドラマ化もされているし、分かりやすいエンターテイメントでもあると思うけれど、原作は主人公の内省的な部分も多かったし、なにより、これが「文藝賞」の受賞作だったから。


でも、境界のなくなってきた純文学とエンターテイメント小説、内容では、どうやって分けるの?
ということは、私も以前からずっと考えていること。

色々な人に聞いても、「今は境はなくなってきているから気にしないほうがいい」という意見が多いし、「違いはここにある」とずばりと答えてくれる人は今のところ見つかっていないのだけれど、あくまで私の考えでは......

純文学は「点」に重点があるもの。
エンターテイメントは「線」に重点があるもの。

だと思う。

「線」というのは分かりやすくいうと、ストーリー。
「次はどうなるんだ?」「犯人は誰なんだ?」「どうしてこの人は殺されてしまったんだ?」という謎を追いかけるようにして、ぐんぐん先へとひっぱっていくものがエンターテイメント。

それに対して、ある状況での主人公の気持ちであるとか、あるシーンの美しさだとか、「点」としてとらえられるものを大切にし、ひとつの箇所だけ切り取り、そこだけ読んでも価値がちゃんとある、というものが「純文学」なんじゃないか、と。

もちろん、例外もあると思う。

以前、小説の書き方を教わっていた純文学系の先生は、「純文学だからって、ストーリーがいい加減でいいわけではない。逆に、エンターテイメントだから描写がいい加減でいいわけではない」と言っていたけれど、そのとおりだろう。

でも、私が思うに、やっぱりほとんどの純文学は「点:8割 線:2割」、エンターテイメントは「点:2割 線:8割」くらいの比率でどちらかに重きをおいているように思う。

ただ、本当に良い作品は、この偏りが少ないかもしれない。
たとえば、乃南アサさんの「風紋」などは、乃南さんが「ミステリー作家」だから、作品は「エンターテイメント」ということになってしまうのだけれど、非常に主人公の気持ちの描写が緻密で、素晴らしい「文学作品」だと思う。「これからどうなるの?」という疑問で、読者を先にひっぱっていく力もあるのだけれど、主人公の気持ちを描き出すために、「線」のほうを犠牲にしているところも多い気がする。

私自身は、ずっと 「すばる文学賞」受賞→「芥川賞」受賞 を目指してきた、「純文学作家」の卵なので、「線」よりも「点」を書きたいと思ってしまう。

私の場合、書き出すとき、テーマが先に浮かぶときもあるけれど、「シーン」が浮かぶときも多い。テーマがはじめに浮かんでも、次に考えるのはストーリーよりも、「シーン」。
「こういう場面が書きたい」ということなしに、作品は書けない。

そういう「点」重視の書き方だから、ずっと純文学を目指していた。でも、純文学の賞はなかなか獲れないし、受賞作を読んでも、おもしろいと感じられないし、自分が読むのはもっぱらミステリーという状況が続き、「やっぱりエンターテイメントが書けないと」と、数年前から考えるようになった。

そして、今は、「広義のミステリー」に方針を転換している。
あんまり殺人事件とかは書きたくないので、あくまで「広義のミステリー」だけれど。

でも、これは、実は書くものを変えたということではなく、今までと同じ、自分の書きたいものに、「線」の要素を増やした、というだけ。

「ミステリー」というカテゴリーに分類されると、それだけで、心理描写や風景描写が多くても、「エンターテイメント」というジャンルになる。
 分かりづらい「純文学」と「エンターテイメント」の境で悩むより、あくまで「点」を大切にし、それを核にしながら、「ミステリー」という衣装を着て、化粧をするのもありかな、と思う。

 ジャンルとしては「エンターテイメント」に分類されるけれど、「点が6割、線が4割」くらいの作品を書いていけたら、と思う。

 

2005年9月10日

小説の舞台。

文学賞の締め切りがあると、分かりやすくブログの更新が途絶える(笑)
今月は8日に一本出し、あとは月末。
分かる人には何の賞か分かってしまうと思うけれど、ま、いいや(特に8日なんて中途半端な時期の締め切りはばれやすいね)。応援してください☆

ってことで、8日は相当真剣に手直しをし、投函しました。
今回は珍しく海外を舞台にしてみたのですが、その都市を舞台にする必然性を感じられないという指摘が多く、最後まで旅行ガイドとにらめっこの直しでした。
初めは固有名詞をたくさん出して書いていたのだけれど、そうすると観光ガイドみたいなものになってしまう気恥ずかしさがあり、メジャーなスポットや地名をなくしていったら、その国を感じられない作品になってしまったようです......。難しいですね。
東京や自分が住んでいる場所を舞台にするなら、ぽつんと一つ「新宿」「池袋」とか突然地名が出てきてもみんな「変だ」って言わないのに、あまり馴染みのない場所を舞台にすると、その必然性をとても求められる。
当然のことかも知れないけれど、なるほどそうなんだなぁと明文化できたのは良かったです。

でも私は最近地方の文学賞に出すためもあり、あまり馴染みのない土地に行って、そこを舞台にした作品を書いているのだけれど、一つ一つの場所にはやはり独特の空気なり色があり、おもしろい。
所詮数日滞在しただけでは、旅行者としての関わりしかできないのだけれど、それでも旅行者なら旅行者なりに感じたものを上手く形にできるようにはなりたいと思う。
いまのところ私は47都道府県中、30くらいは行ったことがあるのだけれど、いずれすべてを周り、47作品を仕上げたいな、なんてことを思ったりする。できれば47都道府県全部に、細かい部分や方言にアドバイスをしてくれる友達を作ったりして。
ま、夢みたいなことかもしれないけれど、目の前の締め切りだけに振り回されないように、長期的に何をしたいのか、どんなものを提供できる作家になりたいのかは考えていきたいなと思っているのです。

本もちょっとずつ読んでいるので、少しずつまたブログに感想をアップしていきます!

2005年8月15日

読書の効能?

今日、朝日新聞の記事に、活字離れは子供より親の方が深刻ということが書かれていた。確かにそうだよなぁ、子供には「学校の図書室」があったり、「読書感想文」があったりするけれど、大人にはないからね。ただ一ヶ月に○冊以上、って子供の本と大人の本では読める冊数は変わってくるのだから、そこを比べるのはいかがなものか......と思った。

と、その記事の内容にはけちもつけたくなったけれど、一つ面白いことが書かれていた。そのアンケートでは読書の冊数を聞くのと同時に、「楽しいことは多いか」というようなことも聞いたらしいが、その結果、読書を多くしている人ほど、生活全体に楽しいことが多いと答える人の割合が大きかった......とのことだ。
本をたくさん読む=友達と馴染めず図書室や教室の隅にひっそりと隠れている少女(少年)という印象もあるけれど、実はそれは本を読まない人の作りだしたフィクション像なのかもしれない。
実際小学生の生徒などを見ていると、本当に楽しそうな元気な子には、適度に勉強もできるし、結構楽しそうに本を読んでいる子が多い。

記事ではその理由を、本を読むことによって知識が広がり、実生活でも視野が広がりそれが楽しさの発見につながっているのではないかと分析していたけれど、実際はどうなのだろう。
ただ子供の頃は世界は本当に学校という狭い世界だけだったから、世界はそこだけではないと教えてくれる本の世界はとても貴重なものだよなと思う。
そして大人の世界は、子供の世界ほど分かりやすく閉じているわけではないけれど、やっぱり限られた狭いものだから、そこから外へ出ることを教えてくれる本の存在は大切なのかもしれない。

私自身はやっぱり好きな本に出会えればそれだけで幸せになっちゃうし、「読書」の恩恵をたくさん受けている方だと思うけれど、改めて、人や人生にとって「本」とは「読書」とは何なのか、人は本に何を求めているのか考えられたらいいなと思った。

 

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