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2010年11月 7日

「手塚雄二 一瞬と永遠のはざまで」

手塚雄二さんという日本画家の美術展に行ってきた。

以前から知っていたということではなく、ただ、ぴあかなにかで作品の写真を見て、心惹かれていたので。

ただ、モノクロの静謐な林の画に惹かれて行ってみたら、去年、電車のつり広告で見て気になっていた絵の作者だった。

気になっていたのは、二頭の虎の絵
http://sophiazure.tumblr.com/post/170875804
(知らない人のサイトに勝手にリンク)

今回の展示にもこの虎の絵があり、やっぱり心が釘付けになった。


ただ、今回の展示の多くは、人や動物の息づかいや熱を感じさせない、非常に静かな風景画だった。

日本画の描き方を私はよく知らないけれど、手塚さんは、何度も何度も塗った絵の具をはがしては、塗り、はがしては塗り......と繰り返し、色がもう落ちないくらい紙にしみこませていく手法で描いているらしい。
確かに言われてみると、一枚一枚の絵は、非常に層が厚く、ぱっと見た表面の絵の奥に、隠された深みを感じさせた。

青や緑、そして金色がとても綺麗だった。


こういう静かな絵と向き合う時間は、目を閉じて自分の内側に意識を集中させる瞑想の時間に近いものがある気がする。
心の中が自然と落ちつき、普段は波打っている体のなかの湖みたいなところが、しんと凪ぐ感じ。


展示は横浜そごう内の美術館で、11月28日(日)まで開催。
おすすめ!
http://www.asahi.com/event/AIC201010070006.html

 

2009年11月16日

エミール・ガレ展

昨日は笠間に行ったついでに、茨城県陶芸美術館を見た。
エミール・ガレ展」開催中。

こういう確固たる世界観をもった作品は、美術、文芸、映像問わず、いいなぁ、と思う。

ガレははじめ、ガラス本来の美しさを最大限に引き出す、淡い青のガラスなどを"発明"し、高い評価を受けるが、その後、方針を転換し、透明感のないガラスとは思えない作品を生み出していく。

しかもそこには、虫や蛙など西洋では忌み嫌われていた生き物を写実的に表現する。
《鶴首瓶〈蜻蛉〉》などは傑作だ。
落下し、今まさに死にそうなトンボが水面に映る自分の姿と目があう一瞬を表現したものらしいが、ぞっとするくらい、一つの世界ができあがっている。

ガレは詩や文学にも影響を受け、詩などの一節を浮き上がった文字として作品に入れ込んだりはしているが、言葉ではない表現の部分に、言葉の使い手である私は逆にまた影響を受ける。

言葉やストーリーのない芸術表現に触れることで、自分の"文学"は磨かれるように思う。

やっぱり定期的に美術館には通いたいものだ。

(あと、ガレとは別に、陶芸作品の展示もあったけれど、松井康成さんという陶芸作家の作品に非常に感動した。中学時代、密かに陶芸部だったのだけれど、陶芸にこんな多様な表現があったとは。

 

2009年1月19日

田渕俊夫展 ~広がりを感じること

今日は、昨日出社した分の代休をもらい、一人で日本橋近辺をぶらぶらしていました。
用事がない休みの日は、大抵、銀座・東京駅・日本橋付近にいます(笑)

で、たまたま立ち寄った日本橋高島屋で、「田渕俊夫展」のポスターを見て、気になったので見てきました。
京都の智積院に奉納した60枚の襖絵の公開。
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20090114_132329.html
こんな感じの、落ち着いた水墨画です。

ときどき心が疲れてくると、一人で京都や鎌倉に行って、お寺でしずかにお祈りしていたくなるのだけれど(中・高はキリスト教系の学校だったりしますが(笑))田渕さんの襖絵は、見ているだけで、お寺の広い空間を感じられ、また、艶やかさはないけれど、しっかりと大地に根を張った、植物、自然の美しさを伝えてくれ、本当に良かった。
癒される、というより、心が震える感じ。

最近、三省堂の入り口に平積みされていたので気になって買ってしまった
茂木健一郎さんが翻訳したという
『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』
とう本に、
「幸せになる考え方とは、外に拡大していく感覚を伴うものだ」というようなことが書かれていた。
「たとえば何かの選択を迫られたとき、立ち止まって大きく息を吸い、どちらの選択肢がより頭の中で明るさや広がりを感じさせてくれるかを考えます。エネルギーの拡大を感じる選択をしたときは、なぜかいつもすべてがうまくいくのです」
と、その本には、書かれています。

「脳にいいこと」だけをやりなさい!「脳にいいこと」だけをやりなさい!
茂木健一郎

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確かに、心が疲れているときは、「あれはしたくない」「こんなことが起こったら嫌だな」「あのとき、あんなこと言ってしまった......」とか、どんどん内に内にこもっていってしまいがちの気がする。

そういうときこそ、広がりを感じさせてくれる絵を見たり、大きな力を感じさせてくれる存在のある寺社仏閣に赴いたり、ビルなどで視界のさえぎられない田舎に出かけていくって、重要なことじゃないかな、という気がする。

作品の最後に、製作過程などを紹介するビデオの放映があったのだけれど、それを見たら、また違った感動があった。
何十、何百というすすきの生えた野原の絵などがあるのだけれど、それは、何度かに分けて写生をした非常に精密なデッサンを透明なフィルムに焼き、それを少しずつずらしていって、数を増やし、さらにそれをプロジェクタでふすまに投影して、その下図を参考にしながら、墨を置いていって描いたのだと......と。
もっと感覚で描けるものなのかと思っていたけれど、そんな気の遠くなるような作業の結果だったのか、と思ったら......。「プロ」の仕事に衝撃を受けた。
楽していい作品は作れないね~。

計画していたわけではなく、たまたま気になって入った展覧会でしたが、行ってよかった!

2008年11月 5日

小林正人さん(画家)

先週の金曜日、私の好きな画家・小林正人さんがトークイベントをするというこで、竹橋の美術館に行ってきました。

http://www.shugoarts.com/jp/kobayashi.html

小林さんは、四角く形を整えられたキャンバス自体も人の作ったもの、と感じ、それに自分の絵を描くことに違和感を覚え、キャンバスに絵を描きながら、同時進行でそれを木に打ちつけて作品を作る、という「現代美術」の画家。

毎日星空を見上げて目を洗う、という名言もあるような、ピュアな芸術家で、以前からとても気になっていた。

以前から写真は見ていたけれど、思った以上に「芸術家」だった。
ここまでTHE芸術家、という人に最近あまり会えなかったので、おどろいた。

1時間ほどの講演だったのだけれど、言っていることが抽象的で、しかもとっても感覚的で、分からない......(^^;)
小林さん自身も「分かりましたかね?」って何度も聞きながらだったけれど、8割くらいの人は分かっていなかったし、半分くらいの人は、「難しすぎるわね~」と聞こえるように言っていた......。

しかも、質問タイムは、大荒れ。
「この絵で一番明るいところはどこだと思われますか?」
という質問に、
「絵というのは、どこからどこまでを指して絵、なんですか?」
と質問を返し、それから、
「明るいって言われても、分からないな。ここにあるのは光だけで、明るいという概念はないから。......そもそも質問の意味が分からない」

というようなやりとりを、3,4人とされていました。
いや......これぞ私の思う「芸術家」!

でも、「芸術家」だと思って、結構ファンだった嶽本野ばらさん(作家)は覚醒剤使っていて、捕まっちゃうし......。
最近、芸術家とか表現者とかって何だろう、と思う。

自分がそういう意味での「芸術家」にはなれないことも痛感したしな。
ただ、身近にいたら分からないけれど、遠くから見ている分には、私はそういう「芸術家」の存在が好き。

講演後、一言話しかけに行きたいと思いながらも、何を言ってもかみつかれそうで怖くて行けませんでしたが......でも、これからも私は小林さんの絵のファンであり続けます。

2008年10月10日

横浜トリエンナーレ

今日は振り替えの休みをもらったので、横浜トリエンナーレへ。

赤レンガ倉庫など横浜の何箇所か(メインは3つくらい)で 行われる美術イベント。
絵画に限らず、映像や立体表現がメインの現代美術の集合体で、 とても刺激になり、おもしろかった。
ときどき奇抜でグロくて、気分が悪くなるものもあるけれど、 芸術と一言でいっても、簡単にはくくれない広がりがあると 感じられたのが良かった。

こういう「芸術」って、非日常のようでいて、日常と区別が つかない部分もあり、「これって、もともと倉庫にあったもの? 展示物?」とか、分からないことも。
でも、それを「難解」と捕らえる必要はなくて、日常の風景 だって、見る人が見たら芸術なんだよ、ってことなんだろうな、 と思った。
本当に優れた芸術家って、自分の特異な才能を見せびらかす人 ではなくて、どこにでも芸術はあり、誰にでも芸術は作れるし、 発見できるし、楽しめるっていうことを気づかせることができる人なのかもしれない。

足元に転がった石の形がちょっと変わっていたとか、風が土の 上に残したあとがきれいだったとか......そんなことに気づけるだけで、きっとあなたも芸術家!
そして、そんな視点が持てるようになれば、人生の幅はちょっと広がり、なにかひとつの悩みにぐ~っと焦点を合わせすぎて苦しくなるなんてことも減る......はず。
芸術家の役割って、やっぱ、そういうところにあるんだよね、
なんて、勝手に一人、納得した一日でした。

2007年2月18日

「土から生まれるもの」

あと、美術館にも行ってきた。初台のオペラシティにあるアートギャラリー。初めて行ったけれど、空いていていい。上野などとはやっぱり違う落ち着きがある。
今やっているのは、「土から生まれるもの」という展示。

http://www.operacity.jp/ag/exh80/

実用的な器などではない陶芸作品が中心で、私にはなかなか心地よい作品が多かった。
特に小川待子さんという作家の作品が良かった。私は知らなかったけれど、多分、陶芸の世界では有名な人だろう。

http://www.momat.go.jp/Jiki/S0010.html

こんな感じの作品や、もっと大きな作品も、10点以上あった。
上手くは言えないけれど、すっと入ってくるような、でも何かちょっと心に残って、心のなかをあたためるような、微かに寂しくさせるような、頭をぼんやりさせるような、そんな感じの作品。
やっぱいいよねぇ、芸術って、とよく分からないことを呟きたくなった、平和なひとときでした。

2006年10月20日

ダリ展

今日は上野でダリの回顧展を見てきた。
テレビCMまで流れているせいか、満員盛況。私は昼過ぎに行ったので、「うわぁ、混んでいる」ですんだけれど、出てきた頃(3時ぐらい)には、入場制限されていた。行く予定の人は気をつけて!

ダリはまぁ難解で、周りから「全然分からない」という声がたくさん挙がっていたけれど、それは別に分からなくてもいいんじゃない、という気がした。
私は基本的に、意味の分からない絵の前で、意味の分からないまま立ちつくしているのが結構好きなので(抽象絵画とか好き。ポロックみたいのとか)。

特にダリは、色の使い方とか、背景がだだっ広く広がっている感じとか見ていて気持ちいい。ちょっと違和感を与える配色の砂漠と空みたいな広い感じの風景に、小さな人が数人ぽつんと描かれているようなものとか、ちょっと奇妙で、どこか不協和音みたいなものを感じるのだけれど、それがまたいいのよね、って感じ。
意味のあるものも、もちろんあるようで、ところどころプレートに説明が書かれていて、それを読むと、それはそれでおもしろいけれど、でも説明されると興ざめって部分もある気がした。
ダリの世界はあくまで夢や無意識の不条理につながり、分断された世界ってことでいいんじゃないかって思う。

今回は朝日新聞から招待券をもらったから行ったのだけれど、たまには美術館もいいな、と改めて。特に現代のちょっとよく分からない感じの「アート」が見たくなった。

 

2006年2月22日

小林正人さんの展示

たまたま足を運んだギャラリーでそこの絵や作品を気に入るということは時々あるけれど、こんな風にずっと名前を覚えていて、展示があると知ってわざわざまた出向いてしまうという情熱は私には珍しい。
まぁ、それくらい、前回の小林さんの絵との出会いは衝撃的だった。こんなに人の作品が自分の内部に染みてくることがあるのだ、という気づき。
そのころ(一昨年の9月)、小説もちょっと行き詰まって何を書いたらいいか分からなくなっていたし、他にも色々悩むこともあり、けっこう消耗していたのだけれど、小林さんの絵に出会い、小林さんの文章を読み、あぁ、小説を書きたいと思った。
小林さん自身やその作品がそのままモデルになっているというわけではないけれど、そこで得た気持ちや感覚、エネルギーによって生まれた作品が一つある。それが昨日ちょうど、ある賞の一次選考を通ったと知った。

今回の展示は小さい作品が多かった。でも、天使を感じさせる優しく繊細な線が印象的だった。

ただ!!
今回も前回もSHUGOARTSというギャラリーでの展示だったのだけれど、なぜあそこの人たちはあんなに無神経で、無愛想なんだろう。それはもう、悲しくなるほど。
前回行ったときから移転していたのだけれど、サイトの地図はいい加減だし、前回も今回も迷った......。今回の場所は、運送会社の倉庫を通って、いかにも搬入用というエレベーターに乗って行くようなところ。まぁそれはいいんだけれど、わかりにくい場所にあるんだったら、もっと分かりやすく場所を説明してくれよと思うし、どうにかこうにか五階にたどり着いても、ギャラリーは扉が閉まっている。しかもどう開けたらいいのか分からない凝った作り。とりあえずライトはついているのだから、入ってもいいのだろうかと、びくびくしながら入ると、無表情のお姉さんが座っている。目があったので、入ってもいいのでしょうかと聞こうとするが、なぜかつんっとそっぽを向かれる。なんなんだ~、と思いながらも、止められないのだから見てもいいということだろうと、こっちも開き直ることにする。
すると、絵を見ている五分くらいのあいだになぜかどんどん受付にギャラリーの関係者らしき人が集まってきて、五人ぐらいでにぎやかに話し始める。壁や天井はコンクリートだから、それがまぁよく響き渡る。ゆっくり絵を見る環境じゃないって......。
前回も受付の人が超無愛想だったし、途中で裏方っぽい格好をした男の人が入ってきて、二人でべらべら話し始めた。
いったい......。
色々なギャラリーに行ったことがあるが、こんなに嫌な思いをしたのは初めてだった。
入場料を払ってもいいから、もっといい環境で見たい!!


と、とっても消化不良だったので、そのまま歩いて現代美術館に行く。そこの常設店に小林さんの作品が一つあるという情報だったので。
一階に「一室」と言っていいような独立した空間があり、そこに一つ、大きめの作品が飾られていた。
本当、良かった。小林さんの作品は、この黄色とオレンジの色合いがいい。そこにあるのは色の微妙な変化と、ぼんやりとした輪郭だけで、だから何の絵とは上手く説明できない。ただその分、直に感覚とか感情がわき起こってくる感じがする。
変な説明だけれど、小林さんの作品を見ているときの感情は、切ない恋心に近い。すごい憧れの人を前にして、もどかしいほど言葉が出てこない。でも、自分の方を向いてくれなくてもいいから、ただそばにいたい、と思ってしまうような感じ。

とりあえず、現代美術館に企画展を見に行くことがあったら、是非常設展の一階、展示室2にある、オレンジ色の絵を見てください!!とだけ声高に叫んでおきます(笑)

2006年1月11日

オラファー・エリアソン「影の光」

久しぶりに美術館に行きました。
品川の原美術館で3月15日まで開催しているインスタレーション。

大袈裟な言葉に聞こえるかもしれませんが、いやぁ、本当、久しぶりに本当の「美」に出会った感じがしました。
言葉を超越しています。
見ているととても穏やかな気持ちになった。お寺の境内にじっと座っているときの気持ちに似ている。静かに自分の内側を見つめられる空間があった。そして目の前に繰り広げられる光景(というか、光と影の揺らめき)は、美しい数式のように完成された、完璧な軌道を描いたり、この世のものとは思えない不思議な世界を感じさせたりしてくれた。
ここに今生きているということを忘れてしまいそうなほど、非日常の空間があった。

別に今、死にたいと思っているわけではないけれど、自分が死ぬときはこれくらい穏やかな気持ちで、まず生にも死にも属さない場所でしばらくじっと留まり、そしてあの世に逝くのだろうなぁなどということを感じたりした。
本当、良かったです。

ただ、一体、その展示って、どんなものなの?と聞かれると説明できない......。
ので、写真で作品を見られるサイトにリンク。
http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=27273
原美術館の公式サイトの方がきれいですが、フラッシュを使っているので、目的にたどり着くまでがちょっと面倒です。
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
でも良ければ、ここのサイトの「EXHIBITION」を観てください。

リング状のプリズムを使って、光を虹色にし、その動きを見せるというような展示と、霧に光を当て幻のような柔らかい虹を見せるという展示が綺麗だった。
でも考えてみれば、それはただ普段身近にある光を分解して見せているに過ぎない。非日常に感じられるけれど、光も様々な色も日常にあふれかえっている。溢れすぎていて気づかない。
色だけではなくて、世の中には当たり前すぎて目を向けないために「非日常」になってしまっているものが、今はとても多いのかもしれない。例えば体の器官の働きとか、物質は原子とか分子でできているということとか、地球は回っているとか、光や音は波であるとか、実感としてとらえられない「事実」は多い。
別にそんなことをいちいち考えていたら日常に差し障るから、考える必要はないと思うのだけれど、でも、今回、この不思議な展示を見ながら、実感できないそういう非日常に感じられる様々な「事実」を知識として持ててているのはいいことかもしれないな、なんていうことを思った。
現実世界で行き詰まったとき、白い光の中には本当は七色(本当はもっとたくさん?)の色が隠れているんだとか、物質は全部ただの分子と原子なんだとか、そういう、普段とは全然違う視点をふっと持てるようになれば、気休めであってもちょっと楽になる気がするから。

って......何がいいたいかよく分からなくなってしまったけれど、とにかく、本当に良かったです! 静かに美しいものと向き合いたい方、もしお近くに住んでいたら、是非、行ってみて下さい。

2005年11月 9日

「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」

 六本木ヒルズで催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に行ってきました。「レスター手稿 日本初公開」ということだったので。平日の昼間でも混んでいましたが、なかなか興味深い展示でした。

 レスター手稿の内容は、天文学、流体力学、地球物理などを中心とした幅広い分野で、地球と月と太陽の位置関係についてだとか、水紋の広がり方、水流に障害物のあるときの水の流れ方、効果的な治水の方法などが細かい鏡面文字と緻密なイラストでぎっしり書き込まれていました。
 レスター手稿自体は、見てもさっぱり読めないのだけれど(あれは、何語なんだろう......(^^;))、ダ・ヴィンチの思考の流れなどを、スライドや実験装置などで説明するような展示方法で、興味が持てました。
 ただ、分かりやすく説明されていても、それでも「どういう意味??」と頭が「?」でいっぱいになってしまうような、難解な部分もたくさんあった......かな。
 私がばりばりの文系人間で、理系の話にはついていけなかった、というだけかもしれないけれど、それでもやっぱり、ダ・ヴィンチがすごい「天才」だったということだと思う。だってそれから500年以上も経ち、学校で当たり前のように地球は丸くて、太陽のまわりを回っていると習ったような人間に、「え~、そうだったんだ」とか「それはどういうことなの?」とか思わせてしまうのだもの。すごいとしかいいようがない。

 と、まぁ、何を見ても、「天才だったんだねぇ」というところで完結してしまいそうになってしまったけれど、ただこの展示から学んだのは、どんな物でもよく見れば、表面的な意味以上の深い意味や、もっと広い範囲で応用のきく法則を伝えてくれるのだ、ということ。そして、そうやって物を見られたら、どんなときにも決して退屈を感じることなどないのだろう、ということ。身近にある物を、ぱっと見て分かった気になったらいけないな。そう、ダ・ヴィンチが繰り返し繰り返し書いていた水の流れのスケッチなどを見ながら思った。
 あと、もう一つ思ったのは、様々なことを広く知っていくと、それはいつかお互いにつながり合い、「広い知識」はいずれ「深い知識」になるのだろう、ということ。ダ・ヴィンチは、人の美しい巻き毛を描きながら、海にできる激しい渦のことを考えていた、などというスライドを見て、そんなことを考えさせられた。

 本当、凡人には「はぁ」とか「へぇ」とかいうような感想しかもてないほど、なんだかすごい世界なのだけれど、それでも、上手く整理できない、「刺激」といったものは確実に感じられると思う。
 13日までで終わってしまうので、時間はもう限られているけれど、夜の10時までやっているようなので、時間と興味のある人は是非行ってみて下さい。

 

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